仙台四郎をよく調べてみた話

 

 

80歳になった祖母が長年経営していた床屋を昨年廃業にした。散髪にしても髭剃りにしても、これまで以上に時間がかかってしまい自分の時給が年々下がっていったことも理由の一つにあると言っていた。

自分が隣県に住んでいたころは、年末年始・GWなどの長期連休のたびに散髪してもらいながらお話しするのが楽しみだったが、いつからか床屋から美容室に切り替えてからはすっかり髪を切ってもらうこともなくなっていた。

 

思い返すと、祖母は毎朝掃除し、棚の上の、和服を着た男性の写真に一礼してから始業していた。店を閉めた今になって思うと、あれはほかならぬ仙台四郎だった。いまさらながらに調べてみると結構興味深かったので、共有の意味を込めて書いてみようと思う。(ほとんどwikiの参照)

ja.wikipedia.org

 

 

仙台四郎は、本名を芳賀四郎(もしくは芳賀豊孝)といい、民間信仰的に仙台を中心として商売にご利益があるとされている。写真や本では、和服を身にまとい、坊主の髪形で、腕を組んで笑みを浮かべた像が描かれている。いかにも頭のキレる商人であったことを想像させる面持ちをしているが、実際は本人は商人ではなく、商店を訪れる客側だった。先天的(もしくは事故による後天的)な知的障害があったとされ、一人で店を訪れ無銭での食べ歩きをしては、家族が後からお金を払っていたとされている。ただ、お店から出禁を食らっていたのかというと、むしろその逆だったようだ。とにかく愛嬌があり、四郎が訪れた店は不思議と繁盛したとされている。店の側からはまさに福の神だったようだ。ここまでの話は1850~1900年ごろの話である。

 

仙台四郎が爆発的に知られるようになったのはそのずっと後で、プラザ合意による円高不況やバブル崩壊による経済が落ち込んだ際、各新聞社がこぞって仙台四郎を取り上げブーム的に盛り上げた影響が強いとされる。また、これまで商売繁盛の縁起物といえばダルマだったが、場所を取らず写真だけでいいことも起因し、仙台四郎への流行があったと考えられている。

 

祖母の床屋はダルマも仙台四郎も招き猫も飾ってあり、すべての縁起物には乗っかっていくスタイルだったようだ。

 

近しい信仰として大阪通天閣に飾ってあるビリケンさんも想起されるが、じつはあちらはベースは海外にあり、デザイナーが作成したイラストを基にしているようで、仙台四郎とは成り立ちは大きく異なるようである。

 

コロナ事情もあってなかなかお店に行くことも憚られるが、それでも良いお客様でいたいなと思った、「お客様が神様になった」話。